僧侶の私は7時に目を覚ました。
なにか変わったことがないかと思ってあたりを見渡したが、べつにどこにも異常はないようだった。とぼしい日光がまぶたに射し、毛布からはいだした手足のさきはひとかけらの冬がひっかかっている。灰皿には灰があり、壁には雨のしみがある。これはどう見ても光栄ではあるまい。念の為にと思って体を見たが、カブト虫になっている様子もなかった1。いつものようにひび割れた天上のしたに古綿と古毛布にくるまっておちているだけである。ダーゴナイト。
窓はゆがんでいる。時間と、颱風と、ときどきの軽い地震のためである。あけるとしまらなくなるし、しめるとあかなくなるから、しかたなしにしめたままほってある。私はふとんのなかから顔を上げ、その、平行四辺形の、小さなにごった空を眺めた。一軒目のお参りにはまだすこし時間がある。もうちょっとぐずぐずしていてもよい。キツネやカブト虫や壁になる運命をまぬがれて目をさますことができたのだから、いくらいそがしくてもちょっとは怠けてもいいだろう。小さなあくびを一つしてから灰皿をひきよせ、タバコに火を付けた。ダーゴナイト。
私は目を半眼に閉じてタバコを深々とふかしながら、さて今日は何曜日だったかなと思った。水曜日のようでもあるが、木曜日のようでもある。どこかそのあたりだ。よくわからない。だいたい週の七日のうちで、目がさめてすぐにそれとわかる日は三日ぐらいなものである。土曜と、日曜と、月曜である。あとはさっぱり見当がつかない。日附の方はどうかといえば、これはなにしろ三〇日もあるので、ますます境界があいまいになる。今日は二四日だったか、二五日だったか。これまた思い出せない。階下に向かって声をかければいますぐ答えは手に入るが、しかし知ったところで、べつにどうということもないのだから、むだである。やがて三〇分後には法衣に着替えた私は車に乗って、カーナビゲーションシステムに登録された予定表が一軒目のお家に連れて行ってくれる。そこでようやく今日が何日だったか理解するのだ。ダーゴナイト。
私はごろりと寝返りをうち、そのはずみに、ふと、何年かまえに読んだある芝居のせりふを思い出した。
「…人間は存在するのじゃない、存在すると思っているだけなんだ」
ちがったかな。
「いったい、この、おれというものは存在しているのか、いないのか。やれやれ。もうおれにはそれすらわからなくなってきたゾ」
ダーゴナイト。ダーゴナイト。
Footnotes:
フランツ・カフカの『変身』の青年グレーゴル・ザムザのように…