第21回勉強会のお知らせ

梅雨明けも間近になりましたが、皆さまお元気にお過ごしでしょうか。

さて、次回の光遠会の日程と内容をお知らせ致します。

日時: 2016/07/25 (月曜日), 18:00-20:00
場所: 難波別院 本堂北広間
内容: 小谷信千代「真宗の往生論」について
発表者: 安間 観志

日程・場所は先日の学習会にてお知らせさせていただいた通りなのですが、内容を小谷先生の往生論について安間がまとめるということに変更させていただきたいと考えています。大谷派では清沢満之以降「現世往生」に重きを置く傾向にありますが、小谷先生の近年展開されている往生論では、宗祖は現世往生を否定しているとの方向で論を進めています。すでにどこかで必ず耳になさったことがあると思いますが、真宗のみならず仏教会全体各所で大きな波紋を広げています。

真宗僧侶としてのあり方とも密接に関る問題ですので、なるべく早く問題点を整理する必要があると感じ、八月に一度会が抜けることもあり、この段階でこの問題に触れておきたく考えております。

追って、資料等お知らせいたしますが、ひとまず以下2点の著書のみお知らせさせていただきます。

真宗の往生論:

誤解された親鸞の往生論:

それでは多くの皆様のご参加をお待ち申し上げております。

謹賀新年

謹んで新春のご挨拶を申し上げます。

一昨年末に産声をあげた光遠会ですが、気がつけばはや一年以上。昨年は会にとって実質一年目の重要な年でしたが、個性豊かなメンバーの集う会として教区の中で徐々にその “味” を獲得していっているように感じます。

牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生蘇を出し、生蘇より熟酥を出し、熟酥より醍醐を出す、醍醐は最上なり。もし服する者あらば、衆病皆除く…

有名な『涅槃経』の「五味相生の譬」ですが、光遠会は一年目、さしずめ白色の新鮮味ある「乳味」でしょうか。今年はどうのような深まりを見せるのか、とても楽しみです。

本年もますます会が発展しますよう、また、皆さまにとってお念仏とともに健康で実り多い一年となりますよう、心より祈念いたします。

光遠会 安間

Attentats de Paris

Nos pensées vont aux victimes, à leurs familles, aux blessés, aux rescapés, à tous ceux qui ont assisté à ces scènes de barbarie.

パリ同時テロの犠牲者の方々に、心より哀悼の意を表します。私たちの想いは、彼らのご家族、負傷者、生存者、この残虐な場に関係したすべての方々と共にあります。

真宗大谷派 光遠会

Shinshū Ōtani-ha (une école du bouddhisme japonais), Kouon-kai

ありがとうございました!

光遠会も1年が過ぎました。私としてはもう随分と長くやっているように感じますが、まだ1年なんですね。ようやく2年目に突入、まだまだこれからです。皆様どうぞよろしくお願いします!
さて、今回私は2回目の発表!司会は初挑戦のM谷氏にお願いしてました。どうなるかと期待してましたら、なんと寝坊で遅刻、さらに少々お酒も入っているご様子…。お陰様で気軽に発表できました。ありがとうございました。しかし、夕方から酒飲んで寝てるって…もうすぐパパになるんだから、と余計な心配をしてしまいます。
今回の勉強会を終えて、いろいろと感じているんですが、少し遠回りしますね。いま、宮城先生の「地獄と極楽」という本をちびちび読んでいるんですが、そこに書かれていた「謙虚さ」という言葉に心ひかれてます。
「謙虚さとは無心ということであり、また、それがどんなに自分にとって辛いことであっても、事実を事実として受け止める勇気である」
これって、以前の光遠会にも「忍」、無生法忍の忍についての解釈で宮城先生は同じ表現をされてましたよね。忍と謙虚、そして勇気。なかなかしっくりとはきませんが、私はこの勇気という言葉がとても気に入っております。なにか一歩踏み出す力が湧いてきます。他の先生からはこの言葉を聞いたことがないように思います。
謙虚という言葉は昔、テレビドラマの「北の国から」の多分「遺言」編で田中邦衛が演じる五郎さんが、子供達に「謙虚に慎ましく生きてほしい」と言ってたのがとても印象に残っていて、この「謙虚に慎ましく」は私の結婚式の挨拶に使ったというか、パクった言葉なんです。まぁ、恥ずかしながらですが、私なりにこの十数年は謙虚に生きてきたつもりだったんです。ですが、あらためて考えてみると結局私なりの謙虚さを自分の正しさにしていただけなんですね。これが仏法とはよう言いませんが、私の価値観が少し変わりました。自分のなかで思い込んでいる言葉の意味は疑ってかかったほうがいいように思いました。私のなかでは「謙虚さ」と「勇気」はまったくつながらない言葉でしたから。勇気をもって謙虚に生きるって、なんだか変な感じしませんか?まっ、私のこれからの課題ですね。
今回の輪読箇所は他心智通の願でした。一般的には人の考えていることがわかるってことでしょうが、いやいや宮城先生も光遠会もそう単純にはいきませんでした。あらためて勉強会の内容を書くのはしんどいのでしませんが、…気になる方は私の資料 (WORD文書, PDF) を読んで下さい。結局、勉強会を終えてここ数日で私の十数年の信条にひびが入るひろがりをみせたのですから、不思議なものです。有意義なものになりました。参加してくださった方々はもちろん、参加できなかった方々も皆様の支えあっての貴重な私の居場所です。本当にありがとうございました。…って、なんかお別れの挨拶みたい?もうしばらくは大阪にいますので、よろしくです。

「見てきたものや、聞いたこと、今まで覚えた全部。でたらめだったらおもしろい。そんな気持ちわかるでしょう。答えはきっと奥の方、心のずっと奥の方。涙はそこからやってくる、心のずっーと奥の方。」
「情熱の薔薇」(the blue hearts)より

宮崎あおいさんの歌う「Nobody Is Right」(発表中に言及されたもの):

第10回の学びを終えて。

こんにちは。はたちゃんです。

 

今回は六神通の内の天眼通、天耳通の願文を中心に学びました。

今回の発表にあたり初めて『無量寿経』を現代語訳の文章ではありますが、事前にざっと読み通してみました。するとその中に「独生独死独去独来」の前の文章にあたりますが、浄土に往生しようとしない人々の迷いの生活の姿が書かれているところがありました。その描写が現代の私たちの生活の有り様をズバリ指摘しているようでびっくりました。1000年以上昔に書かれた文章なのにそれがそのまま今の時代にも通じるものであり、昔も今も同じようなことで人は迷って来ているのだなぁと感じさせられるものでした。

所感として、敢えて不便にすることでお客さんとのコミュニケーションを取ろうとしているスーパーの例を挙げました。すると参加者から様々な意見が出てきました。

思えば寺に入る前までは、こんなに人生について語り合うということがあまりありませんでした。人との会話といっても上っ面の話が多かったように思います。こうやって真面目に人生や社会について話し合える仲間や場所があるというのは有難いことだな~と改めて感じました。私の家の周りでもだんだん一人暮らしの人が多くなってきていて、すごくにこやかで社交的そうな感じの人でも普段ぜんぜん人と会話をしていないという人が増えてきています。私の住んでいるような田舎でもそうなのですから、都会に住んでいる人たちは尚更でしょう。きっと仕事以外でのまともなコミュニケーションを取っている人は、今の日本においてかなり少ないのではないかと思います。ですから今こうやって、コミュニケーションをとれる仲間や場所を与えられているというのは当たり前ではなく幸せなことなのだと感じさせられました。

今回の願文は天眼通と天耳通と両方とも「天」が付きます。そして今回は10回目。会長もワニの手を食されました。全体的に「手ん」にまつわる学びでした。