皆様お疲れ様です。ふじけんです。
先日の第二回勉強会でようやく「研修院9期終了生を中心とする勉強会」の名称が決定しました。その名は「光遠会」(こうおんかい)です。どうですかね、ちと地味ですか。由来はわかりにくいですね、というかわかりませんね…これは『無量寿経』(聖典P9、4行目)にでてくる過去53仏の2番目にでてくる「光遠仏」からとった名前です。この2番目ということで、研修院9期終了生であれば、その次のサンガだということです。けど、この2番目ということが大事なのかなと思います。終わりの始まりといいますか、1番目でも3番目でもない。研修院に限らず何かをスタートするということはそれまでの経験が1つとなって、1つとして次に進む。常に1番目、常にスタートなんだという気持ちもいいんだけれど、それはやもするとこれまでのことは忘れてってことになりかねない。きちんとこれまでのこと、経験を踏まえた上でのスタートというのが2番目ということではないかと思うのです。私がこの光遠会という名に賛同したのはこのような思いからです。また「光遠」という言葉の意味もいろいろとあると思います。皆さまも各々に考えて、感じたことを話し合いましょう。しかし、本当に大事なことは会の名の由来や意味などではなく、会が続いていくというこでしょうね。「この勉強会が10年続いたら自然にこの会の名も意味もってくるで」と言ったのは、研修院では出席率ワースト3には入ったと思われるけれどこの会では皆勤賞のK松氏でした。ちなみに発案者は“光”に少し関係のある方です。
「遠くで光る」と言えば…私たちに何も言わずに「念仏を選ぶ生活」をするという誓いだけを残して大阪を去って行った彼は元気にしているのだろうか?飲み会には常に響いていたあの高らかな笑い声が最近とても懐かしく思う。まぁ、私の心配をよそにきっと今晩もどこかで気持ちよく酔いつぶれているだろうけど…SIONのCDありがとうございました。いつかお礼をさせてくださいね。合掌
「お前にも名前が欲しいなぁ…」
「いらん。わたしは人間ではないしペットでもない」
「名前?それは一種の符号だろ?わたしが欲しいのは生きる上で役立つものだ」
これは漫画『寄生獣』でのワンシーン。彼ら寄生獣たちは、人間のルールである名前には無頓着。
彼らのように、名前なんてどうでもいい、ってとこまでは行きませんが、そこまで頓着するものでもないのかもしれません。私は今回の我々の会の命名について、なぜかこの漫画のこのシーンを思い出しました。
「勉強会の名前だって?そんなの一種の符号だろ?わたしたちが欲しいのは生きる上で役立つものじゃないのか」 。なんてね(^^)