年頭所感 —「知進守退」ということ—

謹んで新春のご挨拶を申し上げます。

光遠会も立ち上げからはや2年強が経過して、ようやく教区の中でも個性豊かなメンバーの集う会として徐々にその立ち位置を獲得しているように感じています。

さて、年頭所感として「知進守退」(進むを知りて退くを守る) ということについて少し書いてみたいと思います。この言葉は「進むことを知るならば、まずは退く方法を備えておくべきである」といったほどの意味で、退く方法の備えなくして、進むことだけに有頂天になっていることが戒められた言葉として受け止めることができるように思います。今後学習会を続けていくにあたって、また私自身の今後の学びの態度として、心にとどめて置くべき言葉として、ここに年頭所感として書き留めておきたいと思います。光遠会の会自体を省みても、また私自身のここ最近のあり方を思い返しても、まさにただただ進むことだけに意識を向けており、静慮して脚下を顧みるということにおろそかになっており、そうした浮ついたあり方を、この語によってずばり言い当てられたような気もしたのでした…

ところで、この言葉は曇鸞大師の『論註』の「智慧門」の「智」の解釈として出てきます。

進むを知りて退くを守る (知進守退) を「智」という。空・無我を知るを「慧」という。智によるがゆえに自楽を求めず。慧によるがゆえに、我心、自身に貪着することを遠離す (証巻に引用あり, p. 293)。

ここには、知進守退の「智」によって「自楽を求めず」とあります。仏教でいう「智慧」の内容とは、該博な知識を得ることではなく、その内実は自分を捨てることであるということが示されています。自分の幸福・楽しみを求めるために知識を得るのではないのです。他者の称賛を目的とした知識の獲得でもって自尊心を満たすというのはまったくもって言語道断もってのほかで、「自楽を求めず」の仏教の智慧とは真逆なのです。私自身にも思い当たるフシがないでもなく^^; 実に心にイタイのです。知識を披瀝して「したり顔」は、仏教的にはもっとも仏道から遠い知識の求め方なのでしょう。それを求めれば求めるほどますます自分を捨ててかかるということが仏教の智慧であり、そこに自己貪着を遠離した仏道ということがあるということを曇鸞大師はお示しくださっているのだと思います。

ちなみに、この「知進守退」の文字は、大谷大学正門北側の石碑に刻まれています1

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光遠会は私自身も含め大谷大学に縁の深い方がたくさんいらっしゃいますが、みなさんご記憶にございますか?私はお恥ずかしながら、そこになんとなく碑があったかなという程度で、その内容まではさっぱりでした… 上の画像をよく見ると、「知進守退」の左側に字がうっすらと見えます (法主光演?)。その下にまだなにか書いてありそうなのですが、画像だけでは判断できません。これに語の説明文があるのでしょうか2。また京都に言った折に注意してみたいと思います。

ともかくも、この碑は真宗大学東京巣鴨開学の際に建てられたそうですので、この四文字は清沢満之の思想と縁が深いはずです。そこで、清沢先生の全集に出ている、真宗大学開学に関連する語録や書簡、日記などをしばらく読んでみたのですが、どうもすぐには「知進守退」の文字は見当たりませんでした。全集第8巻にある加藤智学先生の文章 (『絶対他力道』, p. 97) に以下のようにこの碑ができた経緯が書かれています。

先生(清沢満之)が愈々この明治三十四年真宗大学の学長になつて、京都の大学を東京に移して、さうして学長になると云ふことになつた。そして学校においでになつた時に、吾々学生は門まで迎へに出た。で門から並んで先生をお迎へしたその頃、新門様であつた大谷光演上人は「知進守退」と云つて進むを知つて、退くを守ると云ふ此の『論註』の言葉を大きく書いて下さつた。これを石に刻んで門内に建てました。

この短い文によって経緯の大筋はつかめますが、この他にも、大谷大学の 建学の精神 にある広瀬杲先生の文章や『ともしび』の 安冨信哉先生の文章 などを参照すると、この碑に関しては概略次のような経緯があるようです。

まず、明治34年に東京巣鴨で真宗大学学監として清沢満之就任の際、当時の法主大谷光演が清沢の開学理念を受けて『論註』の「知進守退」の文字を書として贈った。その文字が加藤智学らの尽力で石碑に刻まれた。そして、再び京都に大学が移転する際にも、第2代学監南条文雄によってその精神を引き継ぐために京都の大学構内に移動された。以来、歴代学長によって清沢満之より続く建学の精神をよく表すものとしてこの言葉は大事にされる。構内の響流館四階の一室には松原祐善の墨跡でこの語の軸もかけられており、現在の真宗学はじめ大学の指導者・学生たちにもその言葉の精神は引き継がれている、と。

こうした経緯で大谷大学にこの「知進守退」の碑があるというわけです。ですので、「知進守退」の文字そのものは清沢先生ご自身の著作や語録、日記、開校の辞などから直接取られたものではなく、「句仏上人」(「句を以って仏徳を讃嘆す」の意) としても知られる光演上人が清沢先生の精神主義の理念に “応答” して『論註』の語を選び取った、と考えることができましょうか3

もちろん、清沢先生ご自身の著作の中に「知進守退」の語そのものが見つからないとしても、先生の思想からその精神を読み取ることは可能であると思います。私は年始のこのゆっくりした時間に、書棚から清沢全集を取り出し積み上げて (力及ばずながら…) 読み返していたのですが、ある面白いひとつのエピソードが目に留まりました。清沢先生は門弟と囲碁や将棋に興じることがしばしばあったそうですが、ある方と「角落ち」(強い者が弱い者に与えるハンデ) で将棋を指して打ち負かした後に次のようにおっしゃったそうです。

それ進む時堂々の陣を以てするは即ち易く、退く時乱れざるは即ち難し。人世の出処進退亦此の如し。退く時、度を失せざるものは概ね勝を制す。

いかがでしょうか。もちろんこの先生の言葉は清沢思想の根幹を為すものではなく、ちょっとした先生にまつわるエピソードといったところですが、これなどまさに「知進守退」の精神だと私は感じました。しかし、ハンディキャップつきでコテンパンにやられて、挙句の果てにこうした言葉をかけられたのですから、もし私が当事者だったらこの出来事ひとつだけをもってしても先生に心酔して二度と頭が上がらないな… などと想像してしまいました。

これに似たようなエピソードが山口益先生の講演集にも紹介されていましたので、最後にここにご紹介したいと思います (山口益『知進守退』, 文栄堂)。それは戦国武将武田信玄の次のような逸話です。

あるとき信玄は武将たちを集めて北条氏攻撃の戦の会議をしていた。武将たちが進軍の経路について激しい議論を交わすなか、一人信玄は沈黙を保っていた。ある武将が訝って信玄に尋ねた。「殿、何をお考えですか」。すると信玄は退却の道順を思案しているという。武将たちは不安になって口々に言葉を返した。「進軍の門出にあたって退却とは不吉ではないでしょうか」。すると信玄は笑みを浮かべ次のように言葉を返した。

その意気は尊い。だが勝負は時の運だ。おん身たちは進撃のことばかり考えてくれるので、わしは退却のことを考えているだけだ。進むのはむしろ易いが、退くのはかえって難しい。それと同じで、人間というものは、いかに生きようかということよりも、いかに死のうか、ということを考えねばならない。どのように進むかということよりも、どのように退こうか、ということを考えることが大切だ。

いかがでしょう?ここにもまた「知進守退」の精神がよく表れています。前へ前へと考えを推し進めることの尊さは、常に後ろ後ろへと、考えを引き戻す裏付けの上に立ってはじめて言えることである、と。

さて、こうした「知進守退」の精神に通じる「ことのすがたを正確につかむ用意周到な慮りの上にこそ前向きの姿勢が整えられる」といった偉人たちの教誡は、今の私に欠けている不放逸さ・注意深さを言い当てられているようで非常に心に響き、ここに年頭所感として書き留めて置こうと思いました。気がつけば長々とここまで駄文を書き連ねてしまいました。きっとほとんど誰も読まないだろうなと高をくくりつつ、好き勝手に書いている次第です。言葉というものは不思議と、ある人にその準備が十分に整ったときのみ入ってくるもので、かつては大谷大学の「知進守退」の碑に一瞥もくれなかった私に、平成29年元旦のこのタイミングで心に留めておくべき重要な金言として深く深く響いたのでした。

最後に。本年も、知進守退、脚下照顧の精神に留意しつつ、光遠会が前へと向かいますよう、また、皆さまにとってお念仏とともに健康で実り多い一年となりますよう、心より祈念いたしまして、この長々とした拙文を締めたいと思います。

光遠会 代表 安間 観志

Footnotes:

1

写真はこちらのページ より拝借しました。

2

こちらのページ によると、解説文に「進んで衆生を済度することを知り、小乗の自利主義に退かないように身を守る」とあると説明されています。

3

清沢先生が光演に講義したメモが「御進講覚書」として全集7巻にあり、そこを見てみたのですが、直接この語は出てきませんでした。もちろん清沢先生の言葉で「知進守退」に通ずる思想は多く指摘され得るでしょうが、光演がどうして曇鸞のこの語を開学にあたり選択したのか、もう少し調べて見る必要があります。

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